第5回目から、いよいよ「箱根ヶ崎」の本文です。
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旧箱根ヶ崎村の地名について
一、箱根ヶ崎
ハコとは神の棲むという古語、ネは山。神のすむ聖なる山を狭山丘陵だとすれば、その西の端、つまり、サキの村といくことになるという説をなすものがいる。
また、諏訪神社の先に発達した村が柴崎村(立川市、調布市、)であり箱根権現の先に発達した村が箱根ヶ崎村であるという説もある。
この他筥の池(狭山池)の先に発達した村であるから箱根ヶ崎村であるとのせつをなすものもいる。
しかし、これらは、何かもって回ったような感じがしないでもない。もっと単純に、かつて、この地を通った何者かが、その地形が相州の箱根を小規模にしてものに似ていると思い、丘の上に箱根権現を勧請し、池には筥の池の名を付け、その付近の集落に箱根よりも崎(都より遠く離れた)にある村という地名をつけたと推測するのは如何なものであろう。
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・・・というところで、次回はこの続きです。
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※只今【東京瑞穂】のブログでは、東京都西多摩郡瑞穂町の瑞穂町教育委員会が昭和55年3月に発行した
「瑞穂の地名」をご紹介しています。