2012年8月10日金曜日

瑞穂の地名(8)箱根ヶ崎-05


第8回目、「箱根ヶ崎」の5回目です。
日光街道に入ります。

---------------------------------------------------------
(1) 日光街道 寛永十三年(1636年)に日光東照宮が完成した後、慶安五年(1652年)に八王子千人同心が日光勤番(守護と火消役)を命ぜられ、通行するようになって、従来からあった道路を改修し、利用した。
八王子拝島箱根ヶ崎二本木扇町屋高萩坂戸……松山……栃木……鹿沼……今市に至る街道で二十二宿があり、片道凡そ四日であった。道巾四〜五間で、道を挟んで南から、上宿(宿に入ってから北は江戸街道まで)中宿(上宿につづき大橋場まで、時に青梅街道との交差点までを上中宿として別の宿と考える場合もある)新宿(或いは下宿、大橋場より坂上富士山境まで)の宿があり各宿には組頭が一名ずつおかれた。
 千人同心は半年毎に五十人ずつが交代で日光につめたので、上番のものが日光につくと、勤務していたものは交代して下番となるわけで、従ってこの日光街道は一年間に二度ずつ上、下の一行が通行したわけである。箱根ヶ崎の百姓はその度に、二本木と、拝島まで荷物の継立の人足として従事したわけである。

---------------------------------------------------------
・・・引き続き次回も、日光街道の部分です。
---------------------------------------------------------
※只今【東京瑞穂】のブログでは、東京都西多摩郡瑞穂町の瑞穂町教育委員会が昭和553月に発行した
「瑞穂の地名」をご紹介しています。