第2回目は「序」の部分です。
参考までに冊子の表紙も掲載しておきます。
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序
地名には、その土地の地形や地質など自然の状態を表したものがあるが、それにもまして、人々の生活や歴史との結びつきを強く現しているものが多い。
地名には、その土地の地形や地質など自然の状態を表したものがあるが、それにもまして、人々の生活や歴史との結びつきを強く現しているものが多い。
しかしながら、戦後の急激な変化は、かつてわれわれの祖先が呼び慣らして来た地名を表わす自然環境を変化させ、伝統ある地名を今日風にいいかえてしまった。
西部地区の区画整理事業の伸展や、新青梅街道の貫通等地域環境の変化は一段と加速して来た。この際瑞穂町に残っている地名について、その位置や由来をしらべ、その中からわれわれの祖先の生活を偲び、ありし日の村の生活に思いを馳せると共に、隣接他町村との結びつきについて知ることも有意義なことと思う。
今回の調査研究は、寛文八年から安永二年にいたるまで数度の検地をうけたが、その際その土地の所在地として各筆毎に記された地名について抜出し、古地図を参考にし、また土地の古老をたずねて、確認したものである。
幸い皇国地誌の編集に関し、内田ああ赫一郎氏が瑞穂町の旧村について調査し、検地帳に記載されている小字を書き出してあったので、各村々の地名についての確認がし易かった。
しかし、その地名がどの場所を指すものかという点については、確認が困難で六、七十歳の土地生え抜きの人に尋ねても自宅脇の道路の名称さえわからないという場合もあった。
最も便利だったのは、屋号を通して地名を探すことができたことと、その地区に畑を所有していた人から昔は、そこの畑のことを何と呼んでいたかを問い合わせ、その地名や、街道名を探し出すことができたことがある。
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・・・というところで、次回は「目次」の部分です。
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※只今【東京瑞穂】のブログでは、東京都西多摩郡瑞穂町の瑞穂町教育委員会が昭和55年3月に発行した
「瑞穂の地名」をご紹介しています。
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