2012年8月8日水曜日

瑞穂の地名(6)箱根ヶ崎-03


第6回目、「箱根ヶ崎」の3回目です。
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 近くに富士山、高値、駒形などの地名があり、浅間神社など祀られていることを考え合せる時、或る時期例えば、金子十郎家忠が京都に上った帰路とか、箱根権現の修験者が諸国回遊の折とかに命名したとしたら現実味が加わると思うが………
 いずれにしても、承久年間(1220年ごろ)に書かれた八雲御妙に「筥の池武蔵国」として記し、鎌倉末期の歌集夫木集に狭山池を詠んだ歌がのせられており、又鎌倉時代の銘のある板碑も発見されるところから中世には既に集落が発達していたであろうことを予測させる。
 箱根ヶ崎という文字は、永禄七年(1564年)北条氏照の発した清戸三番衆状に「箱根賀崎にて相集まり……」と記されており、この頃近隣に通ずる地名となっていたことは明らかである。
 箱根ヶ崎の地名については、北から南へと位置を移動しながら、そこに現れる地名の解説をとも考えたが、点というより線について関連のある地名が多いので、いくつかのセクションに分類して解説をすることにした。

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・・・次回は、この続きで「二、街道について」に入ります。
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只今【東京瑞穂】のブログでは、東京都西多摩郡瑞穂町の瑞穂町教育委員会が昭和553月に発行した
「瑞穂の地名」をご紹介しています。


2012年8月7日火曜日

瑞穂の地名(5)箱根ヶ崎-02


第5回目から、いよいよ「箱根ヶ崎」の本文です。
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旧箱根ヶ崎村の地名について

一、箱根ヶ崎
 ハコとは神の棲むという古語、ネは山。神のすむ聖なる山を狭山丘陵だとすれば、その西の端、つまり、サキの村といくことになるという説をなすものがいる。
 また、諏訪神社の先に発達した村が柴崎村(立川市、調布市、)であり箱根権現の先に発達した村が箱根ヶ崎村であるという説もある。
 この他筥の池(狭山池)の先に発達した村であるから箱根ヶ崎村であるとのせつをなすものもいる。
 しかし、これらは、何かもって回ったような感じがしないでもない。もっと単純に、かつて、この地を通った何者かが、その地形が相州の箱根を小規模にしてものに似ていると思い、丘の上に箱根権現を勧請し、池には筥の池の名を付け、その付近の集落に箱根よりも崎(都より遠く離れた)にある村という地名をつけたと推測するのは如何なものであろう。

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・・・というところで、次回はこの続きです。
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2012年8月6日月曜日

瑞穂の地名(4)箱根ヶ崎-01


第4回目は「箱根ヶ崎」がスタートです。
今日は箱根ヶ崎の最初のページの画像で、
検地帳に記載された手書き文字です。
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次回は「箱根ヶ崎-02」です。
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2012年8月5日日曜日

瑞穂の地名(3)目次

第3回目は「目次」の部分です。
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  目次

はじめのことば………教育長 友野大輔
あいさつ………………会長 村田幸次

序     (ページ)
箱根ヶ崎………1
石畑……………12
殿ヶ谷…………20
長岡……………26
元狭山…………32

あとがき

・口絵写真は日光街道の今昔(羽生屋は、現在、池田屋(箱根ヶ崎114番地)のある所。)
・旧地名に海道とあるが、現在は街道と書く、当時同音の海の字を使用したもの。


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・・・では、次回から「箱根ヶ崎」に入ります。
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2012年8月4日土曜日

瑞穂の地名(2)序


第2回目は「序」の部分です。
参考までに冊子の表紙も掲載しておきます。
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  序
 地名には、その土地の地形や地質など自然の状態を表したものがあるが、それにもまして、人々の生活や歴史との結びつきを強く現しているものが多い。
 しかしながら、戦後の急激な変化は、かつてわれわれの祖先が呼び慣らして来た地名を表わす自然環境を変化させ、伝統ある地名を今日風にいいかえてしまった。
 西部地区の区画整理事業の伸展や、新青梅街道の貫通等地域環境の変化は一段と加速して来た。この際瑞穂町に残っている地名について、その位置や由来をしらべ、その中からわれわれの祖先の生活を偲び、ありし日の村の生活に思いを馳せると共に、隣接他町村との結びつきについて知ることも有意義なことと思う。
 今回の調査研究は、寛文八年から安永二年にいたるまで数度の検地をうけたが、その際その土地の所在地として各筆毎に記された地名について抜出し、古地図を参考にし、また土地の古老をたずねて、確認したものである。
 幸い皇国地誌の編集に関し、内田ああ赫一郎氏が瑞穂町の旧村について調査し、検地帳に記載されている小字を書き出してあったので、各村々の地名についての確認がし易かった。
 しかし、その地名がどの場所を指すものかという点については、確認が困難で六、七十歳の土地生え抜きの人に尋ねても自宅脇の道路の名称さえわからないという場合もあった。
 最も便利だったのは、屋号を通して地名を探すことができたことと、その地区に畑を所有していた人から昔は、そこの畑のことを何と呼んでいたかを問い合わせ、その地名や、街道名を探し出すことができたことがある。
 各村々の初めの頁に示してあるように沢山の地名があるわけだが、その全部について解明することがむずかしかったので、確実と思われるもの、その土地としておとすことのできない大事なものについてのみ記述した。





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・・・というところで、次回は「目次」の部分です。
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2012年8月3日金曜日

瑞穂の地名(1)


できるだけ忠実にお伝えしたいので、
「はじめのことば」と「あいさつ」から始めたいと思います。
いずれも発行された昭和55年(1980年)3月当時の
瑞穂町教育委員会の教育長、そして瑞穂町文化財保護審議会の会長です。
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はじめのことば
瑞穂町教育委員会 教育長 友野大輔
 地名は地勢、風俗、歴史等にかかわる万象を、いとも素朴に、あるいは詩的に表現されているものです。そして、味わい深く、覚え易く、しかも、すぐその辺りが思い浮かぶように名付けられているものが沢山あります。
 これはまさに先人が残した文化遺産であります。
 社会の進歩と急激な経済成長に伴って利便の追求による合理化志向もやむを得ないことではありますが、現在の電子化文明は、コンピューターに見られるような数字表号化に拍車をかけ、話し合いの場造りは喧伝されても、現在を語ろうに止まって「言い伝え」するという社会環境・家庭環境が薄らぐ世相になりつゝあります。
 こゝに文化財保護審議委員の方々による「瑞穂の地名」の発刊は、誠に時宣を得た貴重な伝承となるものであり、深甚なる敬意と、心からお礼を申し上げる次第です。


あいさつ
瑞穂町文化財保護審議会 会長 村田幸次
 都市化が進むにつれ、町の姿は変ぼうし、古来から伝わる土地の名も抹消され、ふるさとはだんだん遠くに過ぎ去ろうとしています。
 文化財保護審議会は、寛文八年(1668)頃からの検地帳に記載の地名について、三百十数年前の先人が、粒々辛苦開墾した姿を想像しながら、その位置、開墾した地名の語源等について、約二か年にわたり、調査し、検討を加えた結果、「瑞穂の地名」の冊子を出版することになりました。
 この調査に当たって示された土地の古老各位の熱心なご協力は、記述の内容充実に貢献するところ誠に大でありました。深く感謝いたします。


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・・・というところで、次回は「序」の部分です。
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2012年8月2日木曜日

「瑞穂の地名」スタートします!

東京瑞穂のブログ、東京都西多摩郡瑞穂町の情報をリリースしていこうと
思っていましたが、どんな内容にするのか、ちょうど良い題材を探していました。
そして出会った「瑞穂の地名」という冊子。
パラパラッとめくってみると
箱根ヶ崎 ハコとは神の棲むという古語、・・・・』という一文が
目に飛び込んできました。
へぇ〜、「ハコ」って「神の棲むという古語」って意味があるのか・・と思い、
そうだ!このことを、このブログでリリースしていこうと思いついたのでした。


というわけで、
最初の情報は、瑞穂町教育委員会が昭和553月に発行した
「瑞穂の地名」という冊子の内容をお届けしてまいります。
尚、表記につきましては、基本的に原本に忠実に記載する予定ですが、
本来縦書きであったものをブログでは横書きとするため、
読みやすくするなど、いろいろな事情で多少変更する場合も考えられます。
その点につきましてはご了承ください。
もし、変更した場合は、きちんとお知らせしたいと思います。
東京都西多摩郡瑞穂町にちょっと興味を持ってもらえたら幸いです。